中井貴一の新境地 令和元年7月31日(水)
武田信玄・・・・1988年1月~放送(NHK)
雲霧仁左衛門・・2013年10月~放送(NHK)
サラメシ・・・・2011年5月~放送(NHK)
中井貴一・・・・佐田啓二(1926~1964)の長男。佐田啓二は韮崎で交通事故死。
佐田啓二は、「花の生涯」1963年(昭和38年放送)で国学者の
長野主馬役でも出演していたんですね。尾上松緑は記憶にあったんで
すが佐田啓二のことは見落としていました。
中井貴一を初めて知ったのは、NHKの大河ドラマ「武田信玄」を見たときと思います。その後、映画「壬生義士伝」をテレビで見て、南部生まれの吉村貫一郎の一途な姿に涙しました。私は、昼飯を外で食べるときは、折角なので、できればおいしい手打ち蕎麦を食べたいと思い、やっている店を探しては食べたものです。そんな中、「サラメシ」というテレビ番組から、やけに明るくカラッとした声が聞こえ、誰なんだろうと思っていたら、なんと信玄や貫一郎、仁左衛門をやった中井貴一だということではありませんか。イヤー驚きましたが実にいいですね。新境地を開いたという感じがします。親父の佐田啓二も喜んでいると思います。私の田舎は小さな町でしたが、映画館がひとつあり、「君の名は」という看板が電信柱ごとに掲げられていたことを想い出します。映画館の前には、作品ごとに手描きの大きなポスターが飾られていました。そういえば、ペンキだらけになって描いていた髪の長いお兄さんがいたことも想い出しました。
第32作おとこはつらいよ・口笛を吹く寅次郎 昭和58年12月28日封切
最近テレビで特集をやっていたので見ましたが、晩秋の吉備路を舞台に、高梁市にあるお寺の娘朋子(竹下景子)の弟一道を演じていたのが中井貴一でした。長門勇やレオナルド熊も懐かしかった。 「 令和2年2月19日 (水) 」
ところで、弁当の話ですが、小学校の給食は4年生くらいから始まったと思います。それまでは弁当持参でした。冬は石炭ストーブが教室の一番前に焚かれていて、その近くに弁当を置く移動式の棚がありました。ストーブの熱が伝わりやすい場所を我先にと確保したものです。ストーブが良く燃えてくると、弁当に入れたおかずの匂いがただよい、勉強どころではありませんでした。(もともと勉強した記憶はありませんが。)一番強く匂ったのは沢庵漬けでした。何ともいえませんね。タッパーなどなくアルマイトの弁当でしたので、ランドセルから出したときから、おかずの汁がしみ出していました。いろいろな匂いが混ざり合い、前の座席の子は特に大変だったと思います。あのときの弁当のおかずは思い出せません。山に登ったとき食べれば今期最高でしょう。
ちなみに、1878年(明治11年)日本にやって来たイギリスの女流旅行作家イザベラ・バードは、沢庵漬けの香りを、家の中にいられないほどの悪臭で、沢庵漬けより臭いのはスカンクくらいであろうと紀行文に残しているようです。米を食べない人には、食欲をそそる匂いと旨さは分からないでしょうね。 (^ム^)
今日(令和3年1月15日 金)wowowを見たら、1,978年作成の映画「雲霧仁左衛門」監督 五社英雄 をやっていました。途中から見たのですが、仲代達矢(雲霧)、岩下志麻(お千代)、倍賞美津子、市川染五郎(式部)、夏八木勲、長門裕之、丹波哲郎、加藤剛、松坂慶子、山口崇、梅宮辰夫、山城新伍、宍戸錠、成田三樹夫、川谷拓三、あおい輝彦など、豪華俳優陣でした。仲代の仁左衛門は、根っからのやくざもんという雰囲気で、元武士の感じはしませんでした。黒澤明 監督の用心棒と同じ ような気がしました。その点、中井の仁左衛門は重厚な雰囲気を醸し出し、物語全体も上品に仕上がっているような気がします。
今朝(令和5年3月13日)NHKFMの音楽遊覧飛行を聴いていたら、1985年(昭和60年)みんなの歌で放送されていた、中井貴一と吉田直子が歌う「ありがとうさよなら」が流れてきました。実にいい声でした。