筑波山(女体山877 M、男体山871 M) 平成24年11月24日(土)
女体山山頂からの眺め
流山おおたかの森(7:20着)筑波山きっぷ購入→つくばエクスプレス(7:39発)→つくば(8:05着)→筑波山シャトルバス(8:30発)→つつじケ丘(9:20着)→(9:30出発)→女体山頂(11:25着)→昼食(12:00 男体山登り口食堂でつくばうどん)→男体山登山道路を少し歩きかけたところ、左膝に強い痛みが出て登れる状態でなかったため断念し、ケーブルカーを利用し帰路に着く。
平地と登りはそれほどの痛みは感じなかったが、下り(駅の階段も)は痛かった。
残念ながら反省会はおあずけとなりました。
後日整形外科で診てもらったところ、「加齢ですから・・」と判定を下されてしまった。その後、ウオーキングや膝、太腿の筋肉を鍛える運動を行うようにし、何とか回復して来ました。 いつか男体山に登るつもりです。
さいたま市から望む筑波山 (Ⅰ) (平成26年10月28日夕方)
何となく、岩木山の雰囲気に似ています。
10月始めに冷え込んで、綺麗に見えた日がありましたが、写真を撮っておくべきでした。
さいたま市から望む筑波山 (Ⅱ) (平成26年11月4日朝)
まずまずの眺めです。
さいたま市から望む筑波山 (Ⅲ) (平成26年11月13日昼)
さいたま市から望む筑波山 (Ⅳ) (平成26年11月14日朝)
麓一帯に靄が立ち込めていました。
さいたま市から望む筑波山 (Ⅴ) (平成27年1月23日朝)
雲のある眺めもなかなかのものです。
藤沢周平の、小説長塚節「白き瓶」に、節が筑波山に年2回登った記述があります。 1回目は雪のある2月末に従兄弟と一緒に、2回目は梅雨どき6月に歌人の伊藤左千夫と画家の平福百穂と3人で登ったということです。
今回も2年前同様、流山おおたかの森駅 で筑波山キップを購入し、 7:25 の電車で出発しました。つくば駅からは臨時の観光バスでつつじヶ丘まで向かい(帰りのバスも同じ。)おたつ石コースを登り→女体山→御幸ケ原と歩きました。
途中で「ガマ石」という奇岩があり、口の中に石を投げ込むと金運が上がると言われているそうで、日ごろ金に並々ならない執着心を示している妻は3回目で口に入れ、「今度ジャンボ宝くじを買う」と息巻いていました。私は10回ほど試みましたがダメでした。金には縁がなさそうです。
膝の様子が異状なかったので、→男体山→御幸ケ原(缶ビール・つくばうどん)→御幸ケ原コースで下山→筑波山神社まで無事に歩くことができました。この下山コースは、きちんと整備されていますが、なかなかの急坂で膝にだいぶこたえました。
今回の所要時間と歩数は、つつじヶ丘(9:12)→ 女体山山頂(10:55)2,992 歩→ 御幸ケ原 (11:20) 1,418 歩 → 男体山山頂 (11:58) 687 歩 → 御幸ケ原 (12:15) 614 歩 → ケーブルカー乗り場 (14:25) 4,816 歩 → バス乗り場 (15:15) 1,519 歩 → つくば駅16:55 の電車で帰路に着きました。(つつじヶ丘 → バス乗り場 計12,046 歩 でした。)
朝のつくばエキスプレスは、つくばマラソンのため通勤地獄電車並み、登りの山道は、小、中、高生の各種団体がたくさん登っていて、狭い山道は渋滞が生じていました。三連休中、日曜が一番天気が良かったので登ることにしたのですが、こんな混雑があるとは思いもしませんでした。
しかしながら、懸案であった男体山登頂を果たし、2年前できなかった反省会も自宅近くの駅で途中下車し、手打ちうどん、鯖寿司、ビールで思い切って締めることができたのは、この上ない喜びであります。
長塚節の生家近くから望む筑波山(Ⅰ) 平成27年6月7日(日)
長塚節の生家近くから望む筑波山(Ⅱ) 平成27年6月7日(日)
長塚節の生家に貼ってあったポスター 平成27年6月7日(日)
日本経済新聞「平成17年3月12日(土)」の紹介記事
藤澤「周」平でした。
「歌垣」の有名スポット筑波山 平成30年8月15日(水)
「歌垣」とは、古代の日本にあった風習で、求愛のために男女が特定の場所に集まって、歌の掛け合いをすること。「歌垣」の有名スポットの一つが筑波山だということだそうです。
スーパー「カスミ」のチラシから 令和2年5月31日(日)
なかなかいいですね。
令和2年10月16日(金)
CiaO 2022 .9 VoL . 163 から収録
野田市から望む筑波山 2023年(令和5年)4月27日(木)
昭和59年ごろの筑波山