船橋市海老川にかかる九重橋にある「走れメロス」のレリーフです。 この写真で右方向に橋を渡り、写真前方に見える京成電鉄の高架を越えた少し先に 太宰治が昭和10年当時、妻初代と暮らした旧居跡があります。
九重橋の少し上流に船橋中央市場があり、鱗をキラキラさせている魚がたくさん泳いでいました。自転車で通りかかったおじさんが「ボラ」かな。と言いましたが、私は昔地元の人に教わった「さっぱ」ではなかったかなと思っています。
西の方では何でも、「ままかり」と言う高級魚とのことです。 平たい魚で鱗がすぐ剥げ、妻が嫌々カラ揚げにしてくれたことを思い出します。
旧居跡は前方の高架下を抜け車道を渡り、最初の路地を右に曲がり直ぐの所です。
CiaO 2018.1 Vol.136
ひとつ下流の「丸山橋」から「九重橋」方面を眺める。
写っているのは「さざんかさっちゃん」と弟の「福太郎」
JR船橋駅構内の「さざんかさっちゃん」 平成29年11月6日(月)
一般住居の軒下をお借りし記念碑が設置されています。
船橋市民文化ホール前広場に移植された夾竹桃 (船橋市本町2-2-5)
夾竹桃が少し咲き残っていました。 「平成26年10月11日(土)」
太宰治「十五年間」より
たのむ!もう一晩この家に 寝かせてください、玄関の夾竹桃も僕が植えたのだ、庭の青桐も僕が植えたのだ、と或る人にたのんで手放しで泣いてしまったのを忘れていない。
讀賣新聞 令和2年5月20日(水)
よみうり船橋 令和2年5月23日(土)
武田神社(甲府市)入口にあった案内板 平成26年11月9日(日)
甲斐善光寺で鳴き竜の声を聴き、暗闇の中を戒壇廻りをして、長生きのできる錠前をなで、明るい所に出たら、会津出身の天海大僧正の次の歌が貼られているのを見つけました。 「気は長く つとめはかたく色うすく 食細うして心ひろかれ」 結構な歌でございます。
文学碑付近から龍飛崎灯台を望む
龍飛館(龍飛岬観光案内所:旧奥谷旅館)
N君と泊まり 酒を飲んだ 奥谷旅館 参号室
奥津軽いまべつ駅に降り立ったときは青空でしたが、龍飛館を訪れたときは暗雲がたれこめ、強い風も吹きつけ肌寒いほどでした。
案内の方から熱いお茶をいただきホットした次第です。また、帰る際手折りの可愛らしい龍ねぶたをお土産にいただきました。今我が家の鴨居で風に吹かれて揺れています。