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乙女峠から見上げる富士山 「登ったのは長嶋茂雄がいつも麓から駆け上がった金時山」 日帰り登山

                                                   平成25年5月25日(土)

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バスから乙女峠に降り立った視線の先は霞んだ空ばかりであった。ふと視線を上げると大きな富士山が見え「こんなに上に見えるんだ!」と感動しました。

英国人のイザベラ・バード明治11年に初めて富士山を眺めたときの気持ちと同じではないかと思います。

小田急新宿特急(7:30発)→弁当を買い箱根湯本からバス(8:46発)→乙女峠(10:00発)→金時山山頂(12:30着:昼食)→金時神社に下山→バス(15:25発)→箱根湯本(16:47発)→新宿 (17,545歩)

反省会は箱根湯本では時間がなく、蒲鉾、ビール、ワインを買い求め、車中で静かに実行の運びとなりました。

 

金時山山頂(1,213 M) 残念ながら富士山は見えませんでした。

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巨人軍の長嶋茂雄選手が若い頃、自主トレの一環で金時山の麓から駆け上がり、頂上の茶店で、履いていた靴下から百円硬貨を取り出し、そのお金でサイダーを買い、うまそうに一気に飲み干すと、キャンプ地まで駆け下りて行ったと言うことです。さすがですね。

私は少年時代、並ぶときは 3 番目になるように、銭湯の下駄箱も空いていれば 「3」 に必ず入れました。銭湯には、友達を誘いあって数人で行ってました。それにしても長嶋がヒットでなくアウトになったと聞くことが本当に信じられないことでした。桐の木を削って作った手製バットで野球をしましたが、川原で小石をボールの代わりに打って練習したものです。そのころの野球ボールは軟式テニスと同じようなボールで駄菓子屋で売っていました。「ヘソ」のあるボールの方が値段が少し高かったです。また、山菜のゼンマイの綿を丸めて糸で縛り、ボールを作ったこともあります。これはお遊び程度のボールでした。グローブはほんの少しの者しか持っておらず、軟式ボールで初めて野球をやったのは、小学校の体育の授業くらいだったと思います。                                       

  令和2年5月21日(木)

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 Eテレで  「0655」  という面白い番組があり、「こたえはいつも3」という歌を流しています。

 

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                                         令和2年5月21日(木)

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 私はこの歌に  「長嶋茂雄の背番号は3」  というのを付け加えてほしいと思っております。そうすればもっとこんもりともりあがるのでは ・・・・ 。

 

讀賣新聞                2013年(平成25年)5月5日(日)

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 子供のころ、月刊誌の「幼年クラブ」か「少年ブック」か「日の丸」だったか、「ナガシマくん」という漫画が連載されていました。ユニークなキャラクターで面白かったです。大人になった私は、ナガシマ君より亜希子さんの方が好きになりました。 (*^。^*)

 

讀賣新聞から

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 夏木立 長嶋茂雄 胸毛あり

 のどかさや ボールがきたら 打てばいい

 敬遠は 大根切りで いきましょう

                    作:ねじめ 正 一