9合目から岩木山山頂(1,625 M)を目指す。 平成25年9月6日(金)
弘前から見るといかにも重くどっしりして、岩木山はやはり弘前のものかも知れないと思う一方、また津軽平野の金木、五所川原、木造あたりから眺めた岩木山の端正で華奢な姿も忘れられなかった。 「太宰治の小説津軽から」
「や!富士いいなあ」と私は叫んだ。富士山ではなかった。津軽富士と呼ばれている一千六百二十五メートルの岩木山が、満目の水田の尽きるところに、ふわりと浮んでいる。実際、軽く浮んでいる感じなのである。したたるほど真蒼で、富士山よりもっと女らしく、十二単衣の裾を、銀杏の葉をさかさまに立てたようにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく、静かに青空に浮んでいる。決して高い山ではないが、けれども、なかなか、透きとおるくらいに嬋娟たる美女ではある。「同津軽から」
新青森から、つがる4号で弘前着(10:41)駅弁購入→バス(車内昼食)で嶽温泉経由八合目(12:45着)→リフトで九合目→45分かけ山頂→同じ経路で嶽温泉バス停→山の上ホテル宿泊(温泉風情あり。)(8,883歩でした。)→翌日、弘前城、斜陽館、疎開の家を訪ね「走れメロス」と「津軽」を購入→鯵ヶ沢水軍の宿で宿泊。→翌日海の駅おらんど「舞の海相撲記念館」→リゾートしらかみ2号(10:07発)→十二湖(11:22着)→日本一話好き運転手のバスで奥十二湖 (昼食)→十二湖→東能代→つがる6号で秋田→こまち46号で東京(21:08 着)
疎開の家の案内人の方から、臨場感溢れる語り口で太宰治の暮らしぶりなどを伺ったことにより、自宅に戻ってから3ヶ月の間に、太宰の小説を壇一雄や美知子奥様の書いたもの、山崎富栄さんの立場で書かれたものを含め計24冊通勤電車で読破することになりました。 だいぶ太宰通になったような気がします。
「斜陽館」
「疎開の家」にある太宰愛用のテーブルと火鉢
「疎開の家」案内人の方から、何度も読み直したと思われる太宰の小説を片手に、熱心に説明してもらいました。
今度は冬に来ることを薦められました。この方は、「津軽」の登場人物にご縁のある方ではなかったかと思っています。
「 山が 」
山が遠くから
人の心をとりこにする
人がその心を
さがしにゆく
それで
身体ごととりこになる
吉 野 弘
讀賣新聞 平成30年10月7日(日)
遠くに鳥海山が見える。
日本海が見える。
昭和46年ごろの岩木山と電車。